「話にオチがない」と言われ続けて
すっかりご無沙汰していました。
こんばんは。
さて、早速だが、私はタイトルの通り、
「お前話にオチがないよな、何言ってるんだ。」と言われ続けてきた。高校生ぐらいの時から言われていた気がするのでもう10年は言われている。今回はこの件について簡単に述べてみよう。
さて、この「話にオチがない」と感じさせてしまう流れはどうも以下のような感じらしい。
- そもそもオチを念頭において会話をしていない
- なのに話の最初がいかにもオチがありそうな発話をする
- 自分の声がハイトーンかつ大きな声であるため、無駄に周りの人に話が聞こえる
- 話の間の抑揚が平坦(常に声がでかい)
- そして聞いたところでオチがないまま終了
- 結果耳を傾けた人々がうんざりする
というものである。
なまじ通る声をしているため、どうも自分の話を聞いてくれる人々からすると、
「こいつ、声でかい割につまんねーこと話しやがって。周りにも聞こえてるしこっちは恥ずかしいんじゃボケ。さっさと会話の主導権渡さんかい。」
という心情が伝わってくる。すみません。
そう考えると自分に付き合ってくれる人はなんて寛容な方々なのか....。と感謝の念が絶えないっす。いやほんと。
さて、振り返ってみると、この流れになってしまう最大のポイントは、会話の開始地点が「自分」にあった場合が思う。
もっと詳しく言えば、会話のフリがいつも雑、または唐突であるため、
- 会話開始時点でオチが見えてしまう(着地点がミエミエ)
- 会話開始時点で何を問われているのか分からないため、相手が続けようにも続けられない(着地点がない)
の2つの極端なパターンが多い、と思われる。
会話を続けていく中で重要なのは、会話を行う当事者たちが一体となって、徐々に徐々に連想を重ねながら紡いでいくいわばストーリー性ともいうべきところだろう。
これは何か問題を解く、という場面でも似たような話で、問題を出す際に、問題が簡単すぎても難しすぎても、解く方は楽しめない、というようなことである。
要するに、よっぽど自分がしたい話でなければ、会話の流れを途切れさすのはよくない。相手の話を真摯に受け止めろ、ということだろうか。
あと言われたのは、
「お前、沈黙したときに無理して話す癖あるよな。それやめた方がいいんじゃない?」
ということである。
うん、俺沈黙耐えれないわ。それだわ。落ち着け。
実際この沈黙した際にむりやり話のネタを持ってくる事自体が火傷の元っぽい。
とりあえず改善できるところを改善していこう....。(オチは相変わらずなかった)